漱石枕流

 中国春秋時代の晋という国に孫楚(そんそ)という武将がいたそうで、その孫楚の言葉が「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」だそうです。

 孫楚はかなり有能だったそうで、政治家や武将として手練を発揮していたようです。でも才能を誇示する傾向があり人を見下すことが往々にあったようで、あまり評判がよくなかったそうです。

 その孫楚が友人の王武子に対して「沈石漱流(ちんせきそうりゅう)」の生活をすることを打ち明けようとしたそうです。「石を枕のようにして寝て、川の流れのように漱ぐ」ということで、世俗を離れてひっそりと隠遁生活を望んでいることを友人の王武子に打ち明けようとしたそうです。

 ところが孫楚は「漱石枕流」と誤って言ってしまったそうです。王武子はからかうように「石に漱ぎ、流れに枕するとは一体どういうことだ?」と言われたようです。

 有能であることを誇示するような性格だったために孫楚は「石を口に含んで歯を磨くのだ。川の流れを枕にして耳を洗うのだ。」と苦し紛れに言ったそうで、「漱石枕流」というフレーズに「言い逃れをする」や「負け惜しみを言う」ような意味を持つ言葉となって現代まで伝わっている逸話となったそうです。

孫子荊、年少時、欲隠。
語王武子、当枕石漱流、誤曰、
「漱石枕流。」
王曰、
「流可枕、石可漱乎。」
孫曰、
「所以枕流、欲洗其耳。所以漱石、欲礪其歯。」

  [白文]

子荊、年少(わか)き時、隠れんと欲す。
王武子に語るに、当(まさ)に石に枕し流れに漱(くちすす)がんとすとすべきに、誤りて曰はく、
「石に漱ぎ流れに枕す。」と。
王曰はく、
「流れは枕すべく、石は漱ぐべきか。」と。
孫曰はく、
「流れに枕する所以(ゆえん)は、其の耳を洗はんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を礪(みが)かんと欲すればなり。」と。

  [書き下し文]

 この「漱石枕流」から自分のことを「意地っ張りで頑固な性格」と認識していたので夏目漱石を名前を使うようになったそうです。明治44年には当時の文部省からの文学博士号授与を辞退しています。

 今日2月9日は夏目漱石の誕生日、慶応3年1867年生まれなので、明治の元号が、そのまま満年齢となって、158年前になります。

 本棚には小型版の漱石全集が並んでいますが、最近はタブレットで電子書籍を読むので、本棚の並んでいるだけです。

 漱石全集の横には、長く奈良女子大で教鞭をとっていた清水氾先生の「漱石の悲劇」があります。久し振りに手に取りました。清水先生は奈良女子大を退官後、東京基督教大学で数年間教鞭をとって図書館長をしており、聴講生として大学に通っていた時に、清水先生の研究室を訪ねたことがあります。

 どのような話をし、どのような指導を受けたのか、今となっては記憶がありませんが、清水先生からその後自宅に幾つかの論文や紀要の別刷を郵送していただきました。旧約聖書にまつわる論文や紀要で、ルツ記はとても好きな文書です。

 

itsumi
blog(つれづれに)