神との関係
失って、はじめて、ほんとうの価値がわかることがありますね。人って、ひょっとしたらcontrastでしか価値を評価できないのかな(わたしだけ?)、とも感じます。
辛さの中で、過去のなんでもないことがありがたく、美しく思えたり、豊かさの中で、過去のがんばってた頃の汗まみれの自分の姿を恥ずかしく思ったり、反対に懐かしく望んだり・・・。
人って相対的ですね。あまのじゃくという方がぴったりするかもしれません。他人とくらべたり、過去の自分とくらべたり・・・、くらべるのが上手になって、そして、ほんとうの(絶対的な)幸せを見失うのでしょうか?
他人に勝って、自分に勝って、罪ってそういうことなんでしょうか? 心貧しい我を思い描きながら、でもわたしは反対を向きがちです。過去の苦しさを懐かしみながら、でも、来るべき苦しさを避けたいのが本音です。
装うのではなく、お利口さんですました顔するのではなく、喜びに顔をくしゃくしゃにしたり、怒りで顔をひきつらせたり、悲しみで頭をうなだれたり・・・、もちろん感情に流されるのではなく、心情を大切にして、その上で理性を磨けたら最高ですね。それを目指してはいるのですが・・・、目指すのではなく<自然体>が一番なんでしょうか?
ケツまくって下さい。威勢のいい<たんか>をきって下さい。そして胸のつかえをなくして下さい。自分の為に、そしてそのことが(表面的ではなく、ほんとうの意味での)教会の為になるんでしょう。
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なんども神にケツをまくって下さい。なんたって神は<過ぎ越しの神>なんです。そして、人となって忌むべき十字架にかかったのです。わたしにとって畏れおおい神は、同時に謙卑の神です。神に<負けた>と思うまで、愚痴を言ったり、罵ったりして下さい。神は人に勝とうとはされないでしょう。勝負にならないです。contrastを追い求めるのを止めたとき、自然に神の前に立てるでしょう。裸で立てるでしょう。
July29,1995