南軽井沢

8年前の夏に軽井沢を訪れた時に、2日間で旧軽や中軽、北軽、そして南軽井沢を車に積んで行ったロードバイクで走り廻りました。その折に南軽井沢では浅間山荘事件の足跡を訪ねました。

52年前の2月19日、連合赤軍のメンバー5人が、河合楽器の浅間山荘に管理人の妻を人質に立てこもった事件です。立てこもりは2月28日まで続き、2月28日の夕方には警察隊の強行突破があり、その当時夕方に放送されていた人形劇の「ネコジャラ市の11人」の放送がとりやめになって事件現場からの中継映像が流れたままで、テレビ画面をずっと見ていた記憶が残っています。

警視庁の機動隊と現地の長野県警の機動隊が10日間に渡って人質救出作戦を行って死者3名と重軽傷者27名の人的被害が出た事件で、この事件をきっかけに特殊部隊が創設されたそうです。

当時の南軽井沢はー15℃ぐらいだったそうで、最前線の警官に配った弁当は凍ってしまったそうです。そして販売されたばかりのカップヌードルが最前線の警官にとって温かい食事となって、カップヌードルを食べる光景がテレビや新聞で全国的に報じられ、カップヌードルの売上は爆発的に伸びて一躍ヒット商品になったそうです。当時ボーイスカウトで火の用心で夜の街を廻って、終わった後にカップヌードを食べさせてくれたことが嬉しくて、今でもその時の記憶が鮮明に残っています。

三十数年前、当時勤めていた東京・池袋の専門学校の教員時代に、その専門学校の保養施設が南軽井沢にあって、夏期研修の折に、軽井沢レークニュータウンを訪れたことがあり、その時に人工の軽井沢湖畔から浅間山荘を望むことが出来ました。しかし8年前に訪れた時には、軽井沢湖はレマン湖となって、レマン湖周辺は軽井沢レイクガーデンとなって、訪れた時は休業で中に入ることが出来ませんでした。

事件後、軽井沢レークニュータウンの入口に浅間山荘事件顕彰碑が出来て、其処に「治安の礎」という石碑が設置されました。

8年前の2017年にロードバイクで南軽井沢を巡った時には、浅間山荘事件関連では、浅間山荘事件顕彰碑と治安の礎を訪れただけでした。
今朝のラジオから流れる「今日は何の日」を耳にして、52年前の事件当時の記憶、ボーイスカウトで火の用心で夜の街を廻ってカップヌードルを食べた記憶、三十数年前の専門学校勤務の時の研修の記憶、そして8年前の南軽井沢のサイクリングの記憶がオーバーラップして蘇りました。