自己満足ではなく・・・
やるぞっ!と言うときに信仰が強められるのではなく、疲れて、意気消沈しているときに光が与えられることがあります。いい状態の時ではなく、逆境の時に、「望むことさえ止めてしまう」のか、「望み得ないのに、なお望みつつ信ずる」のか、どちらかではないでしょうか?
そして、どちらかではなく、どちらも、人間の有限の果てに神を見る機会となるんでしょうね。一方はネガティヴに、もう一方はアクティブに・・・。
「望み得ない」状況にならないと、人間は自らの有限さに気が付かないのでしょうか?それほど人間って相対的なんでしょうね。
わたしが!、わたしが!、と、エゴを主張している限り、聖霊の働きに気が付かない(聖霊が働かれない)んでしょうか?
D.M.ロイドジョンズという英国教会の方の書かれた霊的スランプ(原題はSpritual Depression Its Causes and Cure)という本が信仰のドリンク剤となったことがあります、教会から離れていた頃に。
望み得ないときに、人間は裸になり、もっとも神に近い状態なんでしょうか。そして、聖霊と対峙しやすい状態なんでしょうか?
神学書を読みふけり、注解書の細かい記述を云々しているときは、ひょっとしたら、もっとも自己満足の状態、神を必要としない自力本願(?)の状態かもしれませんね?危ない危ない!!
September 3,1995