ラジオ100周年

今日3月22日は、日本初のラジオ放送が始まった日です。1925年(大正14年)3月22日の9時30分に、社団法人東京放送局(JOAK)が、東京・芝浦の東京高等工芸学校(現・東京科学大学 附属科学技術高等学校)に設けた仮送信所から、日本のラジオ放送が始まったそうです。
手元にあるラジオ、右上のポケッタブルのラジオは、大学を出て、初めて赴任した千葉・柏市の駅前の電器店で買ったもので、当時は徒歩で会社の寮から職場まで通っていたので、朝はイヤホンでラジオを聴きながら出勤していました。阪神淡路大震災の時は、一時は停電したこともあって、地震発生当初は、このラジオだけが情報源でした。その後、避難所となった勤務校で寝泊まりすることが多かったのですが、何となくイヤホンでずっとラジオのニュースを聞いていました。
下のラジオは、震災前に、当時神戸の三ノ宮にはダイエーの店舗がたくさんあって、電器館のような店舗で買ったものです。左上は中華ラジオという中国製のラジオで、コンパクトで高性能なラジオですが、PCなどディジタル機器が増えて、自宅ではせっかくの高性能を活かして、海外の短波放送を聞くこと出来ず、あまり使っていないです。これ以外に祖母の使っていたホームラジオがあります。今はもっぱらタブレットのアプリでラジオ放送を聴いているので、ラジオ(受信機)でラジオを聴くことが皆無となっています。
2025年度にはNHK第2放送が閉局とのことで、手元にはラジオ番組録音専用のタイマー付きラジオがあって、カルチャーラジオという歴史・芸術・文学・自然などを専門家が解説するラジオ番組を録音して、聴いているのですが、その放送もなくなってしまいます。
最初に自分のラジオを持ったのは、叔父が使っていたAM放送専用のコンパクトラジオでした。その後、短波放送とFM放送が入るラジオを買ってもらって、小学生の高学年の時は海外からの日本語放送を愉しむBCLに夢中になった時期があり、エクアドルから放送している「アンデスの声」を聞くために朝早く起きたり、受信報告書をラジオ局に送ってベリーカードをもらって集めたりしていました。
AMラジオは原理が簡単で、神戸のラジオ局のラジオ関西は、ゲルマニウムラジオでも感度の良いクリスタルイヤホンでは充分に愉しむことが出来ました。
今、情報ソースとしてラジオはオールドメディアのようで、BS放送の開始時には幾つかあったBSラジオ局もなくなってしまい、今は放送大学だけです。AMラジオも、ワイドFM(FM補完放送)で聴かれることが多くなったようで、ハイブリッドカーではディジタルノイズが多くて、AMラジオの受信が出来なくなりつつあります。
テレビ放送が一斉にアナログ放送からディジタル放送(地デジ)に移行しましたが、AM放送も遠くない将来にはFM転換する可能性もあるようです。ラジオの黄金期は、おそらくテレビが普及するまでの昭和30年代から昭和40年代、今から50年~70年前だったのかもしれません。