神の存在について
私は聖書によって信仰に至らなかった者です。そして、神を実感出来ない信仰者です。文典さんの言葉を借りれば「人間or人間性への信頼」を通して「神への信頼」へ至った者です。
相対的な「人間or人間性への信頼」を通して、絶対的な「神への信頼」へ至ったのであって、私の「神への信頼」は「人間or人間性への信頼」を座標変換したものではなく、パラダイム変換されたものです。ただそのプロセスは本人の私がよくわかっていません。すくなくとも神を見て信じたのではありませんし、納得して信じたのではありません。
私は、人が神の存在を知ることに関しては、『最終的』には理性(科学)ではなく、信仰に拠ると考えています。(重ねて云いますが、私は神を実感出来ない信仰者です。)
その姿は見えず、その声も聞こえず、物理的に存在を確認できず、具体的な(この世的な)救いの心当たりも少なく、心の平安に満たされ続けているわけでもなく、祈りにいつも応答してくれるわけでもありません。反対に、信仰の故の悩み・迷いの心当たりは多いです。
私は、このような実感できない神を「救い主」としています。それが私の信仰です。信じたいから信じているというより、神に負けて無条件降伏した状態です。どちらかと云えば受け身の状態です。
Aug8,1996