あこがれ
私は、信仰を持つ前、神が存在するかどうか疑問でした。そしてそんなものを信じることは出来ませんでした。ただ、(文典さんとは違うかも知れませんが)信仰を持つ人に対して尊敬のような、まさに文典さんのいわれる「あこがれ」を感じていました。私の場合は「信じていることそのもの」に対するあこがれももちろんありましたが、それ以上に信仰者の信じる「何か」に対するあこがれの方が大きかったです。
私は相対的な「人間or人間性への信頼」を通して、絶対的な「神への信頼」へ至ったのです。その存在が疑問だった神を、他の信仰者の信仰を通して、この私が信じるようになったのです。誤解があるといけないので付け加えますと、聖書の学び、いろいろな神学書との出会いを通して理性(reason)による探求ももちろんありました。
あの人が信じるものを私も信じた、というのではありません。「人間or人間性への信頼」が「神への信頼」そのものではなく、絶対的な「神への信頼」へ至る大きな要因であったということです。
Aug10,1996