恵みとしての律法
イスラエルでの安息日の様子を伝えるテレビ番組に接する度に、今も律法(旧約・古い約束)の中に生きているイスラエルの人々と、イエス・キリストによる新しい約束(新約・福音)の中に生きているクリスチャンとのコントラストの鮮やかさのようなものを感じます。
「恵みとしての律法」の中に生きるということと、「律法主義」に陥って律法の中に生きるということとは、おそらく「似て非なるもの」だと思います。
同様に、「クリスチャンになって恵みの中にどっぷりつかっている」のと、「クリスチャンであるという既成事実のぬるま湯にどっぷりつかっている」のとは、やっぱり「似て非なるもの」なんでしょうね。
神の御前にどのように生きるか、与えられたシンショ(タラント)を、如何に自分の与えられたいのち(生活)の中で活かすか・・・、むつかしい。
Dec9,1997