東京1983

 本棚の隅にあった小さなポケットサイズの古い地図、いつもは、そのままにしていましたが、久し振りに手に取りました。手のひらに入る大きさで、胸ポケットに入る大きさです。千葉・柏に赴任して、柏市内にあった会社の寮に住むようになって買ったものだと思いますが、その後の引っ越しにも紛れてなくなることなく、今まで手元に残ったままでした。

 42年前の地下鉄の路線図、営団地下鉄の時代です。半蔵門線が渋谷と半蔵門の間だけで、有楽町線が成増と新富町の間だけです。南北線は未だなく、大江戸線も未だない時代です。日比谷線が東横線と直通運転していた時代です。JRが未だ国鉄時代で、上越・東北新幹線が大宮止まりで埼京線の開業前、湘南新宿ラインも上野東京ラインもなく、東横線の終点が桜木町、そして目蒲線があったなあ~と・・・ざっと見て気付いただけでも42年で大きく変わっています。

 品川駅周辺も大きく変わっています。高輪口と港南口との間は構内通路しかなく、ソニー品川工場構内にあった技術研究所で5か月間の実務訓練をしていた時は、五反田ー品川間の通勤定期を使って構内地下通路を通っていました。今は卸売市場はなく、下水処理場もなく、新幹線品川駅開業で、高輪口と港南口の間に通路が出来たので、定期がなくても行き来できるようになっています。ソニー品川工場も技術研究所もなくなり、高層の本社ビルとなって工場はなくなって敷地が半分ぐらいになっています。港南口を出ると見違えるような街並みになっています。

 まだ丸の内の都庁があった時代、そして有楽町駅の北側に そごう百貨店があった時代です。丸の内の古いビルも幾つかは様変わりしています。

 渋谷は東横線が頭端式のターミナル駅だった時代で、渋谷川沿い東横線の高架があり、山手線の上を渡って代官山へ向かっていた時代です。地図には渋谷駅西口に「モヤイ像」とあって誤植かなあ~と思って調べると「モヤイ像」が正式名称でした。そして再開発の余波で今年初めに移転したようです。六本木通り沿いに、住友生命、日本信託、山一證券の記載がありますが、今はどれもなく、山一證券や埼玉銀行の辺りは渋谷クロスタワーと隣接する屋上広場になっています。

 新宿・歌舞伎町もコマ劇場がなくなって、大ガードから靖国通り沿いにあった銀行も、ことごとくなくなっています。古い地図を見ると花道通りが昔は蟹川という流れだったのがよくわかります。四谷第5小学校は、今は吉本興業の東京本部となっており、花園神社西側の新宿ゴールデン街は細い路地が描かれているだけです。お気に入りのドラマ「深夜食堂」の舞台ですし、藤圭子の「新宿の女」の舞台のような街並み。でも地図にはゴールデン街の名前がありませんでした。

 今まで、この地図を開くことはなかったですが、久し振りに見ると42年前の東京の街は、ざっと見ただけでも変貌してところが多いです。地図のページをめくりながら、気が付けば1時間以上見入っていました。

itsumi
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