生と死のirony
わたしは、「日本のcontextの中にある」ことを意識して、合掌しました。それは死者への祈りではなく、ただの形だけでもなく、合掌の中にわたしは<厳粛さ>を表現しました。死者に対してでもあり、ご遺族に対してでもあり、そして自分自身に対してでもありました。
<生>と<死>を一所懸命考えて合掌しました。生きることと死ぬことの境目がわからなかった。なぜ死ぬのか?なぜ生きるのか?線香の煙を目で追いながら思い巡らしました。
日本人キリスト者であるわたしにとって、死に際しての厳粛さの表現が<合掌>であり、<線香の煙>であったのです。今考えると、それはまさしく、日本というcontextの中で生まれ、生活し続けている<このわたし>の日本人キリスト者としてのidentityであり、日本人キリスト者としてのego<自我>の主張であったんでしょう。
July4,1995