的はずれ

 わたしは以前にサラリーマンだった時に、ビデオ(映像)信号をいじっていました。明暗(白黒)の情報をわずか0.7Vの振幅に「うまく」おさめなければなりません。0.7Vの範囲を外れれば、黒或いは白に飽和してしまい、意味がありません。電圧レベルの調整がずれると、コントラストが吹っ飛んでしまいます。IC化するまではトランジスタで1段1段組み上げなければならず、調整用ドライバで試作基板のいたるところをいじくり回し、回路の状態の体得を繰り返した経験があります。ノウ・ハウがない状態では、ノウ・ハウ確立までは、ただただ「根気」あるのみですね。

 実は昨日、カメラを持って、神戸の市街地を歩き回りました。震災直後に、カメラを片手にぶらぶらしている人を見かけると嫌悪感を感じていました。1カ月前にカメラを買ったときも、震災の風景を撮りたいという思いはありませんでした。でも、《被写体をこわがっては、良い写真は撮れない》という言葉に、わたし自身の持っていた「おそれの感情」に縛られていたのではと気付き、カメラを手にして、街に行った次第です。

 でも、崩壊したビルをドラマティックに撮るのではなく、取り壊したビルの更地でプレハブの仮店舗で営業する店、アーケードのなくなった通りの青天井の下の人の流れ、テレビ局のカメラマンの取材風景と、「復興」をテーマにシャッターを切りました。

 「ピンぼけ」と「的はずれ」は避けたいですね。<聖餐>にカメラを向け、ピントをしっかりあわせれば、後は神様に委ねるだけ、だって<被写体>は絶対で、無限な方ですから・・・・・・。
 August 8,1995

itsumi
アラカルト