不可能への挑戦
単純明快な教義の宗教が、わかりやすい宗教が、だから人気があるんでしょうか?今まで手にも取ったことがなかった大川隆法氏の著作に触れました。わかりやすいですね。だから人気(?)があるんですね。
人間が求めるから、そこにつまずきがあるんでしょうか?神のcallingを人間の耳で聞くから、人間の目で見るから、そこのつまずきがあるんでしょうか?
漱石の「則天去私」と単純にanalogyを云々するつもりはありませんが、でも「天の声も変な声だな」とつぶやいて総理大臣(総裁)の席を離れていったひとりの男がダブり、途方もない距離を思いま
す。
此岸と彼岸を結ぶもの、エンヤコラと舟唄を口ずさみながら渡れる長谷川きよしの深くて暗い河と異なり、神の捕らえられなければ(ピリピ書)駄目なんでしょうね。
つまずいて、その上更につまずいて、求めるのではなく、ただただ仰ぎ見たとき、捕らえられるのでしょうか?(聖霊の働きによって?)
人が こんなに つらいのに
主よ
海が あまりに 碧いのです
遠藤 周作
何年か前の、真夏に訪れた、長崎の小さな岬の町、そこで見た光景が目に浮かびました。今年も夏が終わろうとしているから、だからこそ今この時に鮮明に、過ぎ去った過去の真夏の記憶が、わたしの目の前に広がるのでしょうか?
あの海を見ていたわたしが、今のわたしの状態に近いのかもしれません。
神を・・・、と仰ぎ見たい、と今、心から思います。
7月中旬から、通り雨さえない真夏日の連続でしたが、昨日は激しい夕立が夜まで続き、今日は朝からかみなりをともなう激しい雨、昼前になってようやくおさまりました。あの夏は、もう終わったのでしょうか?あの暑かった夏は・・・。なんとなくさみしく、この朝は雨をながめていました。
過ぎゆく夏を追いつつ・・・・、神戸にて
August31,1995