箴言25:25
遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。
旧約聖書 箴言25章25節
今神戸では、神経性ストレス後遺症という言葉を時々聞きます。震災という大きな心の奥底の深いストレスが、数カ月から1年経過してからゆっくりと現れるものだそうで、わたし自身も軽く罹ったようです。自分の気持ちをなかなか言葉で表現できなくなるのもその症状のひとつだそうで、普段接している人とはそれほど大きな支障はないんですが、文章を書くことが疎縁になっていました。
一昨日、寅さんを観に行きました。最後が神戸・長田区の被災地のシーンで終わるのですが、私にとって重たかったです。日常見慣れた風景なのですが、映画を通してみると視点が変わるのか、あるいは山田洋次さんのcontextの中にあるからなのかわかりませんが、神戸の人間が、神戸の映画館で、神戸を観ることが、自分の生活の舞台を観るのではなく、ハレ(あるいはケ?)の舞台を観ているよ
うな錯覚に陥ります。
見ている自分と、見られている自分に引き裂かれてしまった様な気がします。・・・・まだまだ神経性ストレス後遺症の中にあるのかも知れません・・・。
我は 我ならぬものによって 我なり
古い禅宗の言葉?
主を仰ぎ見れば 古きわれは、
うつし世と共に 速く去りゆき、
我ならぬわれの あらわれきて、
見ずや天地ぞ あらたまれる、
賛美歌355 1番、日本基督教団賛美歌委員会
January 4,1996