「祈り」
私自身の祈りを改めて考えると、結構わがままで、自分勝手なことを祈っています。それとあまり他人のことは祈りません。祈りでは、神と自分との「あいだ」という関係の中で、我(エゴ)をぶつけています。
信じるということについて、いろいろ発言しましたが、祈りについては主観的で、即物的です。なんだか「云ってること」(信仰について)と「やってること」(実際の祈り)とが違うな、と思いました。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
新約聖書マタイによる福音書6章11節,13節 新改訳
「 念仏」で落語の中に出てくるあるお婆さんの祈り(念仏・題目)のことを云々しましたが、私自身の信仰を「私の祈り」から云々すると、結構、自分勝手な信仰ということになります。
「こうありたい」と思う「信仰の内容」と、今現在の私の祈りの内容からたどり着くところの「信仰の姿」と食い違っています。そういうものかな、とも思います。
心から(勝手に)他人のことを祈りたいと思い、そのような祈りが私にとって必然性を持つようになることがあれば、その時の「こうありたい」と思う信仰の内容も、今とは微妙に異なっていることと思います。
Aug18,1996