低空飛行
昨日の週報を見て気がついたのですが、今日(12/16)は私の受洗記念日です。
私自身、教会から離れ、超教派の集会を渡り歩いた時期があり、そんな中で同じ団地の一室で集会を持っていた教会を知り、そこで聖餐から洗礼に導かれ、しかしまた離れ、その後の失業時代には神学校に聴講生の身分で通い(今考えれば、教会から離れていた者に聴講を許してくれた寛容さに、ただただ感謝です。)、教会(個別教会)とは無縁ながら、低空飛行の信仰生活をしていました。
超教派の集会で知り合った方の重なるお誘いで、その方の教会(カルヴィンの流れの教会)に出席して聖餐の中にイエスを見たとき、もう教会から離れられないキリスト者になっていました。その後神戸に引っ越し、あの大震災に会い・・・とここ2年ほどもいろいろなことがありましたが、教会から離れることはありませんでした。もっと云えば「聖餐に現れるイエス」から離れられなくなりました。
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洗礼のみならず聖餐をもふくめて「礼典」というのは、人間の側の弱さの故に必要だと思います。
受洗記念日に、思いつくままに・・・。
Dec16,1996