なんであれ、主よ!
あの「沈黙の碑」は、長崎は出津町という、西海を望む丘の上にあります。カトリック出津教会とドロ神父の記念館が近くにあります。小説「沈黙」の描かれたような風景、そして映画「沈黙」のロケ地でもあったと聞いています。
私の想像ですが、遠藤周作は、江戸期の隠れキリシタンの方々に思いを重ねた時、それらの方々の苦しみと、海の蒼さから「主よ!」と云ったのでしょうね。言い過ぎかもしれませんが、この「主よ!」には、神学も信仰も無縁なように思うんです。もちろんヒューマニズムでもなくて、ただただ、「生かされている」「人間の」「叫び」ではないかと思うんです。
もう2年なりますが、あの震災の時、停電で真っ暗の中で、空が明るくなったことが、ものすごく嬉しかったです。「闇の中の光」でした。空の蒼さに、あの碑の「海の蒼さ」を思いました。避難所で、絶え間ないヘリコプターの音、鳴り続けるサイレン、続く余震、遺体安置所でもあったため、積み上げられたドライアイスの冷気に、神も、み言葉も、私の意識にはなかったです。ただただ「生きている」ということに、「主よ!」でした。
Jan12,1997