碧さ故に
先日、ある方からのE-mailの中で、沖縄のことが書かれていました。沖縄の戦争の舞台に対して白黒の暗いイメージを持っていたそうですが、実際には美しい珊瑚礁と楽園のような鮮やかな花をそこに見たそうです。こんなに美しい所で人が人を焼いたなんて・・・と感じたそうです。
遠藤周作の「沈黙」の舞台となった長崎の黒崎・出雲は、私の受けた小説のイメージは「灰色」「暗い」とあまり「良い」ものではありませんでした。そんなイメージを持って訪れたその地は、確かに斜面に段々畑が連なり、江戸期には豊かさとは程遠い生活がそこで営まれていたんだろうと思いました。でも、出雲の小高い丘から見た景色は美しかったです。
その丘の上に、遠藤周作の「沈黙の碑」がありました。
人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海があまりに
碧いのです
遠藤周作は、隠れキリシタン達のライフ(生涯・生活)の中に数多くの「悲惨」を見たことと思います。でも、その悲惨なライフが、神が創造された美しい「自然」の中にあったことも同時に見たことと思います。
私は「信仰は鮮やかなもの」ではないかなと思います。黒崎・出雲の悲惨なライフの中にあった隠れキリシタン達が守った信仰は、「彼らにとっては」鮮やかな部分をも合わせ持っていたんではないでしょうか?
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
旧約聖書 伝道者の書3章11節 新改訳
Sep2,1996