教会とは?信仰とは? 

 聖なる公同の教会という言葉から、ヨハネ15章のぶどうの木を思い描いていたのですが・・・、わたしの聖なる公同の教会とは、目に見える個別の教会、教団を越えて、<聖餐>によってつながっているキリスト者の群のことです。
「聖餐共同体」というリアリティが全くないかもしれない、ともすれば、同じ主の体と血とによって結ばれながら、戦争において敵と味方に分かれて殺し合いをするかもしれない。聖餐による共同体のリアリティが全くなくとも、互いに聖餐によって主の体と血につながっているという事実をわたしは見たいのです。

 場合によっては、為政者の<聖戦>の旗の下に、同じキリスト者同士が歴史の中で、何度も何度も傷つけ合い、殺し合ったことでしょうし、今現在もそういう場面はあることと思います。もちろんキリスト教以外の信仰を持った方と傷つけ合い、殺し合うことを是とする気は毛頭ありません。

 現実にパンとぶどう酒を囲む個別教会での聖餐のリアリティを大切にしたいと思っています。でも、リアリティを全く感じなくとも、信仰のリアリティを共有出来ないほど異質のcontextにおいて、共に主の体と血によってつながっているキリスト者がいるという事実を決して忘れてはいけないと思います。神の目から見て、contextの違いは意味がないのではないでしょうか?

 わたしは自分の義(正しさ)を越えて神の義を求めたいと思っています。(相対的な)自分の内にない義を、自分の外の(絶対的な)神に求めているのです。
 July27,1995

itsumi
教会