牧会
「牧会」の範囲を線引きすることがむつかしく、むしろ範囲などなく、全領域にわたるかもしれないのですが、それ故に、「牧会」が正常になされているか否かは一個人の判断で下すべき性質のものではなく、また、今現在の問題としてではなく、長い目で見守るものですよね。ただ、善意に解釈して、長い目で見ようとするあまり、《牧師が着任していてもまるっきり牧会されていない》ケースにおいて、いろいろ問題が起こり、こじれた後になってからとやかく言っても、もう取り返しがつかないこともありますし、「牧会」云々を離れた、人間関係に起因する問題が「牧会」そのものにまで影響をあたえることもありうるわけですから、「牧会」に関しては長い目で見守る部分と、一つ一つの問題をその都度批判する部分と合わせ持たなければならないのかもしれません。
「牧会」を大切にされる牧師が、ともすれば大仕掛けな仕事や、教団・教派の仕事、神学校の仕事を兼務されて、思うように「牧会」に時間が割けない場合も多いと思います。(逆のケースは悲しいですが)教団・教派の仕事の中で若い牧師に関わることも、神学校の仕事の中で神学生と関わっていくことも、広い意味での牧会なのかなと感じました。
August 13,1995