保守的
「より保守的な立場を鮮明にしている教会」という言葉を目にしまして、昨日伊勢のスペイン村で見た「エル・ロシオの巡礼祭」の映像が思い出されました。マリア像と共に巡礼の旅をして、祭りのクライマックスではマリア像を御神輿のように担いで、それに触れようとする信者の姿が映像に映し出されていましたが、昼間の大規模なミサと共に「活き活きしたもの」を感じました。
私にとっての正教は、時々テレビで放映される「東ヨーロッパの民族色豊かなキリスト教のお祭り風景」程度なんですが、そのような映像を見る度に life (生活、いのち)を感じます。「保守的な信仰」って、「活きている信仰」であり、「そこに生活があり、そこにいのちがある」ものなのかなあと思いました。(シナイ野の40年もそうだった?)
「保守的」という言葉から「厳粛」「荘厳」「定型文」というような言葉を連想していたのですが、ひょっとしたらそれは私の勘違いで、「自由で、生き生きとした」姿が本来の姿なのかも知れません。
Mar2,1997