ミッション

 400年前のキリシタン迫害後の、修道会が日本への宣教を断念した後にも、何人かの宣教師が日本への潜入を試みていますが、「個人プレー的な伝道」というより、教会(修道会)を通してではなく、宣教師個人に直接、宣教の「賜物」が下されたのかなあとの、個人的な思いを持っています。
 
私自身、もっと「ミッション」「使命」を正面から考えなければと思います。

 チャイナ・インランド・ミッションについて詳しくは知らないのですが、困難と試練は日本のキリシタン迫害の様な状況だったのでしょうか?
 
 過去完了ではなく、現在進行形の部分もあり、孤立し、取り残された信仰者の方がまだいらっしゃるとも聞いています。長崎の生月島や五島で隠れキリシタンの信仰を貫いていらっしゃる方々を、ネガティヴに信仰の内容を神学的に否定するのではなく、「信仰の継承」という点から、もっとポジティヴに受け入れられないのかなあと思うことがあります。(その意味では、日本も過去完了では済まされない部分があるとも云えるのかもしれません。)

 何年か前に平戸島を訪れたことがあるのですが、カトリックの教会は古くからの立派な天主堂が多いのですが、プロテスタントは福音派のナザレンの教会と日本基督教団の伝道所の2つだけ、生月島にはプロテスタントの教会はひとつもなかったはずです。聞いた話ですが、隠れキリシタン信仰の方々に対して特に伝道をされていないとのこと。「近さ」故の「難しさ」を私は想像するしかないのですが、ローザンヌ第8項の「自らの地域に福音を届け」ることがもっともむつかしいのかもしれません。
 Mar7,1997

itsumi
教会