2023_NewYear_amplified
本年も宜しくお願いします。 令和5年正月

2022年を絵巻物風に、徒然なるままに・・・

海岸沿いの垂水の町の北側は、福田川右岸から山田川左岸まで「高丸陸」という丘陵地が広がっていたようで、東から鳥が丘、上高丸、千代が丘、星陵台、清水が丘、舞子坂一帯が高丸陸と呼ばれた地域だったようです。その高丸陸の西の端辺り一帯の舞子陵の中に舞子墓園があります。時々散策に訪れています。墓園の花店がある墓園の入り口付近にある倉庫のような木造の建物、ちょっと絵になる光景にレンズを向けました。

子ども時代の記憶では、垂水漁港は砂浜のところどころにロープが張って、漁船を砂浜に引き揚げるような光景を覚えています。今は砂浜は消えて、コンクリートの斜面に小さなボートが引き揚げられていました。垂水漁港の西側は埋め立てられてアウトレットパークのマリンピア神戸となっています。その向こうに淡路の島影が見えます。

1月の垂水漁港、冬の柔らかい陽光に港内の海が煌めき、陽光がキラキラと照り輝いていました。以前は、播磨国の明石郡垂水郷の中心が、この垂水の漁港だったようです。海岸の大きな鳥居がそびえ立つ海神社を中核とした漁村で、明石海峡と大阪湾の狭間の豊かな漁場が目の前に広がって豊かだったようです。源氏物語の第12帖・須磨と第13帖・明石の中間に位置するのが垂水郷となります。

一昨年末からヒヤシンスの水栽培を始めたのが、2月を過ぎて、綺麗に咲き誇りました。

2月に、三歳から二十歳まで住んでいた、同じ垂水の滝の茶屋を巡りました。生まれたのが須磨・摂津国八部(やたべ)郡 で、歌人の在原行平が須磨に蟄居させられた松風村雨堂の近くで三歳まで、その後、三歳から二十歳まで過ごしたのが滝の茶屋でした。子どもの頃に遊んだ住宅地の中の小さな公園が、遊具の位置が変わって、周囲の柵のようなものもなくなっていましたが、ほぼそのままの形で残っていました。

中学生ぐらいまでお世話になっていた理髪店です。元々は一つ前の公園の西隣にあったのが、公園を挟んで向かい側に移りました。もう、かなり前にシャッターが降りたままです。

子ども頃に凧あげをしていた空き地が、今は真ん中に柵が出来て、それぞれ駐車場になっていました。広い空き地で、周囲は畑が残っていた記憶があります。正面のアパートは、ほぼそのままです。

幼稚園への最短経路が、この細い路地で、ほぼそのまま残っていました。この路地の突き当たりに幼稚園の北通用門があったのですが、幼稚園は閉園となって住宅地となっていました。

山陽電車滝の茶屋駅、下りホームからは大阪湾を一望でき、真南に紀伊水道の友が島が望め、また淡路の島影が横たわっているのを眺めることが出来ます。

神戸には能福寺の兵庫大仏と、鵯越墓園にある鵯越大仏の2体の大仏があります。鵯越墓園旧墓地の頂上の眺望の良い場所に建立された大仏で、大仏の前は展望台になっています。此処に来るのは、子ども時以来になります。

久し振りに喫茶店でサイフォンコーヒーも香りと味を楽しみました。埼玉県の三郷に住んでいた頃に、コーヒーサイフォンを1万円で買って、自宅でサイフォンコーヒーを楽しんでいましたが、燃料のメチルアルコールを買ったり、布フィルターを洗ったり、独特のサイフォンを洗うのも面倒で、結局割ってしまってそのまま・・・。今、Amazonで検索すると5000円ぐらいから買えるのですが、なんとなく億劫で買っていないのですが、サイフォンコーヒーの香りと味を楽しむと、やっぱり欲しくなります。

神戸では明石焼きと言いますが、明石では玉子焼きです。明石の街中にはたくさんの玉子焼きの店があり、有名な「ふなまち」や「きむらや」は店の前に椅子が並んで、平日でも行列が出来ています。たこ焼きに比べて卵をたくさん使って、基本はダシで食べます。明石の大きな市場・魚の棚(ウオンタナ)の中にある店でした。

昨年は、冬の寒い時期には自転車はカバーが掛かったままでしたが、啓蟄が過ぎてカバーを外してメンテナンスをして、自転車に乗り始めました。明石川に掛かる大観橋の西詰を始点とする「明石浜の散歩道」は県道サイクリングロード・県道554号 姫路明石自転車道線の東端でもあり、明石海峡や播磨灘を横目に潮風を浴びる海岸沿いの、お気に入りのコースです。

明石の大蔵海岸にある、お気に入りのベンチです。以前は木製でしたが、かなり古びて何年か前に金属製に変わりました。このベンチからは、眼の前の明石海峡、その向こうの淡路の島影、そして淡路とを結ぶ架け橋が一望でき、海峡を航行する強大な船から小さい船まで見ることが出来ます。

4月6日、淡路島にある国営明石海峡公園へ、花見、桜の花も満開で、そして広大なチューリップ畑もちょうど満開で、どこまでもチューリップの花が続いていました。此処は、2000年の淡路花博(ジャパンフローラ)の会場だった処で、淡路夢舞台が隣接しています。

桜も満開で、春の陽光に輝いていました。

かなり広い敷地ですが、いろいろな色のチューリップがちょうど満開で、どこまでもチューリップの花が続いていました。上の写真の遥か向こう側に見えるのが淡路夢舞台です。

坂巡りで、東京の本郷や、大阪の上町台地周辺の街歩きを続けていたのですが、コロナ渦で中断していました。YouTubeで、神戸の坂をチャレンジしている人を見つけて、垂水区の旧・高丸陸にまつわる坂に、勾配がキツい坂が多いようで、徒歩圏内の坂を幾つかチャレンジしました。
愛徳坂は、車で走ることが多いですが、徒歩では初めてのチャレンジです。一方通行で、車だと愛徳学園中・高校部の正門前から坂を下る方向へジェットコースターを下るように、ブレーキを踏みながら徐行するのですが、この愛徳坂を下から上って、中・高校部の正門まで・・・かなりキツいです。愛徳学園は、カトリック教会の女子修道会である愛徳カルメル修道会を母体として、修道院と併設されて幼稚園から高校まであります。

愛徳坂の東、2~300mに位置する住宅地の中、特に有名な坂ではないですが、愛徳坂よりもキツいです。

そして、垂水区でもっともキツいと言われている旭が丘二丁目と三丁目の間の坂、途中から傾斜がキツくなって、いろいろなYouTuberが取り上げていました。この坂を上りきると、同じような急勾配の坂となります。

今は暗渠になっている天神川から舞子陵方面へは高丸陸急な斜面があって、此処は宅地造成が不可能のようで、草や木で覆われた斜面として取り残されていました。

彼方此方と坂を探して、福田川の左岸にあるお菓子工場・昭栄堂製菓の前に辿りつきました。東京のアメ横で買ったお菓子が、神戸市垂水区の昭栄堂製菓と袋のラベルにあるのを見て、驚いたことがあります。

5月22日、久し振りに須磨浦山上遊園へ。塩屋から山路を旗振山、そして鉢伏山へ。

旗振山は西国・播磨国明石郡となって現在の神戸市垂水区、そこから東の谷越えに回転展望台があるのが、鉢伏山で五畿内・摂津国八部郡、現在は神戸市須磨区となり、五畿内の西の端、改新の詔にある「赤石の櫛淵」が、この谷になります。この間の谷をリフトが結んでいます。そしてこの南側が源平合戦の「一の谷の戦い」の戦場があります。

旗振山から鉢伏山へ、古代では都人からは異郷と思われていた西国・播磨の地から、五畿内の須磨へ渡ったことになります。鉢伏山から東を望むと神戸の市街地が一望出来ます。須磨の砂浜と国道2号線、その向こうが港で、沖合にはかすかに人工島の神戸空港がうっすらと。

塩屋の町は、塩屋川の川筋沿いの狭い町で、JRと山陽電車の駅があるのですが駅前は車が入れないような路地沿いの商店が広がっています。北側に塩屋北町の新興住宅地が広がっていますが、バスは垂水駅からとなります。

6月3日、京都・東山を散策しました。四条大橋西詰(阪急河原町)から花見小路、清水坂、産寧坂、二年坂・・・、まだまだコロナ渦で、観光客は皆無、閉まっている店も多かったです。誰も写っていない二年坂の光景です。

二年坂から八坂神社、円山公園の中を通って、知恩院の階段を上って、そして神宮道のお気に入りの光景です。青蓮院辺りの、この光景はいつもレンズを向けています。

神宮道を北上して、三条通り、仁王門通りを超えて、平安神宮の境内、昭和時代そのままのメダル販売機と刻印機がレトロな感じを醸し出していました。

仁王門通りから南禅寺、そして水路閣、琵琶湖疎水が、この上を流れています。

鹿ヶ谷通りを経て、哲学の道・・・。銀閣寺道まで琵琶湖疏水が山裾に沿って流れる脇に続く道で、西田幾多郎が思案を巡らして散策を好んでいたことから、哲学の道と言われるようになったそうです。桜や紅葉のシーズンには人通りが多いですが、それ以外は、外国人観光客をはじめとして、ゆったりと京の散策を楽しむ人影があるぐらいですが、この日は皆無でした。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」 西田幾多郞

その後は、西に向かって吉田山の北側を通って、京大のキャンパスの脇、百万遍の交差点を経て、東山散策の終点は出町、賀茂川と高野川が合流して鴨川となる合流点で、糺の森・下鴨神社を遠くに眺めながら、京阪の出町柳駅から帰路に向かいました。

阪急河原町駅から、東山を巡って、京阪出町柳駅まで、スマートウォッチでは12.8kmで歩数が16,192歩、消費カロリーが872kcalでした。

阪急・阪神一日フリー乗車券で、一旦、梅田駅まで。ここは10面9線で、日本の頭端式ホームでは最大の駅です。上野駅の地上ホーム、井の頭線の渋谷駅、大阪天王寺の阪和線ホーム、近鉄上本町駅、四国の高松駅など、頭端式ホームの光景に魅せられます。

6月を過ぎると、早朝に明石海峡が霞や霧に包まれる光景を時々見掛けます。早朝に自宅まで霧笛が聞えることもあります。明石海峡に面した高台には、朝霧や霞ヶ丘というが地名になっています。

県道43号線(高砂北条線)の明姫幹線(国道250号)と山陽電車の線路辺りまでは、自転車レーンが整備されて走りやすいです。車道と歩道の間に、2車線の自転車レーンが続いています。神戸の市街地や明石の一部でも自転車通行帯が設定されていますが、車道の左端で、結構路上駐車があったり、バイクも走るので、結局は車道の左端を走っているのと同じような感じになります。

国鉄時代に廃線になったようですが、国鉄高砂線・高砂駅前に位置する銭湯の梅ヶ枝湯の裏側です。この右側の道路が線路跡でホームがあったかもしれません。高砂銀座商店街があり、高砂センター街は、昔は高砂遊廓があったようです。

4月にスポーツタイプの電動アシスト自転車を購入しました。ロードバイクと併用してサイクリングを楽しんでいましたが、7月に神戸から姫路まで電動アシスト自転車でチャレンジしました。平地を走るにはロードバイクが車体が軽くてスピードも出て、走っていて気持ちが良いのですが、坂が多い神戸の街中では電動アシスト自転車が楽です。写真は、銀輪橋で、姫路市と高砂市の市境となっている天川に架かる銀輪橋という県道554号 姫路明石自転車道線の橋です。すぐ隣には車が渡る橋が架かっています。写真の奥は山陽新幹線の高架です。姫路城まで往復すると100kmを超えますが、今年は姫路城までは一度も行きませんでした。

それほど脚力がないので、加古川や高砂までの往復が多いです。別の日の走行経路ですが、神戸から明石、播磨町を経て加古川市、加古川を渡って高砂市そこから加古川の河川敷を上流に向かって往復80km~90kmが、ちょうど良い距離で、加古川の河川敷が走りやすいです。平均して20km/hの速度で休憩時間を入れると半日あまりとなります。

自転車で走っていると、車では見ることが出来ない光景に出逢うことも少なくないです。魚住の住吉神社の南側に魚住漁港が広がっていますが、干しダコが潮風に揺らいでいました。

室町時代から明石の魚住から江井ヶ島、中八木の辺りは良質の粘土に恵まれて瓦の生産が盛んだったようで、江戸時代に入って8代目の明石藩主松平直明は、明石瓦を政策の一つと位置づけて、特産となったようです。昭和に入って戦後に瓦産業は興隆期を迎えたそうですが、粘土の枯渇と、煤煙の公害問題が深刻となって、半世紀程前に明石瓦は終焉を迎えたようです。この瓦の壁のある上には、瓦工場の跡地のようなものが今も残っています。

垂水の乗越峠の近くにステーキハウス・神楽があり、眼の前でステーキを焼くパフォーマンスを楽しめます。

アルコールのようなものを振りかけて点火、見応えがあります。

8月25日はチキンラーメンの誕生日、毎年、何らかのイベントや記念バージョンの発売がありますが、今年は、このエコバックでした。8月25日は私の誕生日でもあり、チキンラーメンを食べています。

9月に姪の結婚式、昨年は甥の結婚式がありましたがコロナ渦で親族だけでしたが、今回は友人や職場の人も招待出来ました。結婚式場がある棟は建築家の安藤忠雄の設計による欅の木に調和するような空間でした。

結婚式の建物は、2階が結婚式場と披露宴会場、そして1階にラウンジがあって、中庭でフラワーシャワーを浴びて欅の木まで・・・

結婚式場の隣のスペースでの披露宴、ホテルでは密閉された広間になることが多いですが、ガラス張りのオープンな感じで、ガラス越しに欅の木が見えていました。

披露宴の後は、1階のラウンジで、ビュッフェスタイルでデザートタイム、姪がピアノを弾いたり、新郎新婦も彼方此方で談笑のひととき

久し振りにアスファルトの道路に、ろう石で描かれた絵を見ました。この前は、十数年前に明石の住宅地で見掛けた記憶があります。

神戸ノート、神戸で多くの小学生が使っているノートで、教科ごと、学年ごとにいろいろな種類があります。小学生の時は、明石ノートや大阪ノートがあるものだと思っていました。戦後の物資不足の時に関西ノート(株)が神戸ノートをつくったのが始まりだそうで、もう70年ぐらいの歴史があるようです。

10月、小野市のひまわりの丘公園のコスモス畑を愛でに向かいました。一面のコスモスは圧巻です。此処は夏には38万本のひまわりが咲き誇り、そして秋には380万本のコスモスが咲き乱れます。十数年、此処にひまわりとコスモスを愛でに来ています。

コスモス畑のところどころで、ひまわりの花が輝いていました。

2階のベランダで、干し柿をつくりました。数日おきに増やして、前部で30個を超えたかもしれません。

11月8日に、三木市の伽藍院へ落ち葉狩りに行きました。山陽自動車道の三木東インターの北側すぐの処です。秋の陽射しに、紅葉が輝いて綺麗でした。


浜の散歩道をサイクリングしていると、藤江漁港で干し柿を見掛けました。此処は夏場には、このロープに干しダコが並んでいるのですが、干し柿を見たのははじめてです。

本年もよろしくお願いします。