十字架と桜

2025年も今日で終わろうとしています。今年は第二次世界大戦が終結して、ドイツとイタリア、日本が敗戦して80年が経ち、当時の西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、「荒れ野の40年」と言われる演説をしてから、さらに40年の時が流れた年です。
個人的には新潟の大学を出て、千葉で社会人としてスタートしたのが40年前で、そして来年の2026年は、はじめて教会の敷居を跨いで40年となり、今日の大晦日は、その2025年と2026年の「狭間」のひとときです。
過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となります
ヴァイツゼッカー大統領、May8,1985、「荒れ野の40年」の演説より抜粋
信仰に関する思い、つぶやき、追憶etcを思いつくままに書き綴ってみようと、大晦日に大掃除をしながら、新しい年に向けて思いを巡らせる中で思いついたので、新たなblog「church(信仰,思い,教会)」を立ち上げました。今日の大晦日から、最低でも月に数回は新しい「church(信仰,思い,教会)」にも投稿する予定です。
現在は東京基督教大学の修士課程として発展的に解消されてましたが、日本長老教会の神学校であった東京基督神学校において教会史の授業を聴講生として受け、そして3ヶ月の短い期間でしたが東京の杉並教会では、共に御言葉に養われ、共に御身体に養われ、共に賛美し、共に信仰告白の時をご一緒した丸山忠孝先生の著作を、この12月に2冊求めました。東京基督教大学の学長を辞してからは家族でアメリカ・シアトルに移り住まれたことはお聞きしていたのですが、シアトルで何冊かの著作を出版されていたことを最近知って、「十字架と桜」と「カルヴァンの宗教改革教会論」の2冊を、この年末に買い求めました。
日本人として、日本の慣習、文化、価値観というコンテキストの中で、バタ臭いとも揶揄されるキリスト教・教会・十字架と、どのように対峙するのか・・・教会の敷居を跨いでから40年近くなり、教会から離れることが多かった私にとって、大きなテーマでもあります。福音のコンテクスチュアリゼーションに関しては、以前から問題意識を持っていますが、保守的なカルヴァン主義の丸山先生が、アメリカの地で、どのような観点や切り口で展開されるのか・・・買い求めて半月ぐらい経ちますが、まだ積ん読状態のままで、正月から読み始めようと思っています。
宗教改革と言われる16世紀のルターやカルヴァンの改革運動、その後のカトリックでの対抗宗教改革に関して、通り一遍の知識しかなく、実際にカルヴァンが何を思い、何を目指し、そして協働者との関係がどうだったのかについて、あまり掘り下げた知識があるわけでもなく、神の前の教会って何だろう?と思う時に、ルター派の教会との差異、そしてトリエント公会議や、数十年前の第2バチカン公会議を経て改革された今・現在のカトリック教会との差異について、あまりにも私は無知です。最近はクラウドチャーチやオンライン教会という、これまでの教会観とは大きく異なるムーヴメントも選択肢にあり、プロテスタント宗教改革以上に過酷だったと言われるカトリックでの対抗宗教改革のことや、カルヴァンが求めた教会って何だったんだろうかと思うことがあり、丸山先生の教会史研究も歳が明けから、じっくりと取り組もうと思っています。