大野教会

自宅のPCのHDD(ハードディスク・記録装置)に、これまで撮り溜めた各地の教会堂の写真があり、少し前に教会堂の写真をpick upしていました。何らかの形でまとめたいと思っていたのですが、2026年から、時間を見つけて、各教会の写真をupしようと思います。十数年前に、長崎を訪れ、潜伏キリシタンの足跡をたどって平戸島と生月島の各地と長崎市内を廻ったときの写真を中心に、神戸や東京、大阪の写真を含めて数百枚の写真があるので、随時upしていく予定です。
最初は大野教会です。西彼杵(そのぎ)半島の外海・・・西海に面した平地の少ない処で、江戸期には肥前大村藩の藩領で、明治22年の町村制施行によって西彼杵郡神浦村下大野郷、昭和30年に黒崎村と合併して外海(そとめ)村、昭和35年に外海町となって、平成17年に長崎市に編入されて。今は長崎市下大野町になっています。
大野教会は、長崎の外海で司祭としてキリスト教宣教活動の傍ら、貧困に苦しむ人々のため社会福祉活動に尽力したマルク・マリー・ド・ロ神父によって建てられた教会です。

ド・ロ神父は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師として慶応4年に来日して、明治11年に出津教会主任司祭として赴任して外海地区に来ることになっています。この地域の人々の生活が貧しさを目の当たりして孤児院や救助院(黒崎村女子救助院)を設立して授産活動を行い、ド・ロ神父の技術指導に基づいて織布、編物、素麺、マカロニ、パン、醤油の製造などを行っています。
大野教会は、出津教会の巡回教会として、大野の信徒のためにド・ロ神父が自費を投じ、信徒の手によって建てられた教会堂で、信徒の手造りで、レンガを積み上げたのも信徒だったそうです。

明治26年の竣工なので、既に130年以上の歳月が刻まれた教会堂です。大野集落の26戸の信者の為につくられた教会なので、それほど大きな教会堂ではないです。石壁に瓦屋根といった民家のような建物で、外壁は現地の玄武岩を積み上げ、漆喰モルタルで固めてつくられており、ド・ロ神父が考えた工法であることから「ド・ロ壁」と呼ばれているようです。

壁に儲けられた窓の上部が半円アーチ形のレンガ造となっているのもド・ロ神父の設計のようで、ド・ロ神父も信徒と一緒になって作ったと言われています。

2008年(平成20年)に国の重要文化財に指定されています。

海岸沿いを走る国道202号線からは、斜面のようなところに点在する集落を、九十九折のようななった坂道を上った処にあり、集落のはずれの山沿いに位置するので、木々の合間から西海を眺めることが出来ます。
2012年8月に長崎を訪れ、生月島と平戸島に滞在後に、長崎市内に向かう途中、平戸から九十九島・佐世保を経て、西彼杵(そのぎ)半島の西側の外海を走る国道202号を車で走る中で立ち寄った教会です。