賛美

あたらしき歌をヱホバにむかひてうたひ歓喜の聲をあげてたくみに琴をかきならせ
(詩篇33:3、文語訳)
Sing unto him a new song; play skilfully with a loud noise
(Psa.33:3, KJV)
プロテスタントの礼拝を構成する要素として、Devotion(帰依 祈祷 献身 献金)、Praise(崇敬、賛美)、Confession(信仰告白)、Blessing(祝祷)、そしてLogos(聖書朗読・交読、説教)とEucharist(聖餐)があり、そしてCommunion of Saints(交わり)とPrayer(祈り)があり、それらがEcclesia(エクレシア)そのものではないかと思います。多くのプロテスタント教会ではプログラムに従って、祈祷、賛美、信仰告白、聖書(交読・朗読)、説教、聖餐、祝祷というスタイルが多く、賛美は聖歌隊の讃美歌を聴くこと、或いは会衆一同が讃美歌を通して神を賛美することの2通りがあり、おそらく中世の教会(カトリック)では会衆が歌うことなく、聖歌隊が歌うグレゴリオ聖歌のようなものを聴くことが賛美だったようです。
ルターの宗教改革として「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」という三大原理が有名ですが、具体的にルターはドイツ語聖書、それに信仰問答書、さらに讃美歌の3つを宗教改革の柱として推し進めたようです。それまでラテン語で歌われていた聖歌を、現地語(ドイツ語)で、会衆(礼拝出席者)が讃美歌を歌うことを通して神を賛美するようになったわけで、聖歌隊が独占した賛美を、会衆もするようになったわけで、まさに万人祭司とも言えるのかなあ~と感じます。
個人的な賛美は、個々で自由に多様多種に賛美すれば良いのですが、礼拝における公同の賛美に関しては、定型的で形式化されたものが、私には「礼拝における公同の賛美」としてしっくりします。日本のプロテスタント教会では1954年に出版された日本基督教団讃美歌委員会による”讃美歌”が現在も出版されて、私としては礼拝における賛美として、しっくり賛美することが出来ます。
個人的には伝道集会のような場で、ワーシップソングやプレイズソングという自由な賛美も好きですし、幾つかCDやカセットテープも手元にあり、YouTubeと共に楽しんでいます。
元旦礼拝で出席した神戸栄光教会では讃美歌21によって賛美をしていました。1997年に出版され、四半世紀以上が経過しているので、教会によってはそれなりに浸透して耳慣れていることと思いますが、讃美歌21によって賛美をする礼拝にはじめて出席したので違和感を感じました。
福音派の教会では1958年に日本福音連盟から出版された讃美歌集の”聖歌”があり、”AmazingGrace”を邦訳した”おどろくばかりの”が収録されて耳慣れた賛美も多かったのですが、現在は絶版となって”新聖歌”に引き継がれているようですが、まだ”新聖歌”による礼拝に出席したことがありません。
宗教改革者のカルヴィンの下で作成された韻律詩篇の賛美歌集である”ジュネーヴ詩篇歌”があり、日本語訳の歌詞として、日本キリスト改革派教会によって”日本語による150のジュネーブ詩編歌”があり、手元のCDで楽しんでいます。
30年以上前から時折耳しては、”霊性”のようなものを感じ、心を鎮めているのが、グレゴリア聖歌の何枚かのCDです。ラテン語による素朴なモノフォニーの男声の賛美・・・耳にしていると言葉はわかりませんが、心が深く沈むような感じになります。sound of silence・・・言葉の意味がわからず、単調で抑揚の少ないモノフォニーの低い男声の響きが、心にダイレクト届くようにさえ感じます。
時折、ドラマや映画でカトリックのミサのシーンにおいて、カトリックの聖歌を耳にすることがありますが、プロテスタントの讃美歌とも、ジュネーヴ詩篇歌とも、そしてワーシップソングやプレイズソングとも違う賛美の歌声に心惹かれますが、まだカトリックのミサに出席したことがないです。
もう三十数年前に、神戸出身で保守的な信仰の立場にある鈴木雅明先生から、東京のお茶の水クリスチャンセンターの聖書講座で「芸術と音楽」と題する講演を聴いて、ルネッサンス期からバロック期の宗教曲、特にタリスやバードのような、多重に重なった声部を持つポリフォニーの聖歌に、まさに「あたらしき歌をヱホバにむかひてうたひ歓喜の聲をあげてたくみに琴をかきならせ」という詩篇33編を思い起こします。
多くの会衆と共にミサや礼拝において賛美する公同の讃美歌・聖歌と、個人的に神を賛美する音楽とは、差異があるのかなあ~と最近感じることがあります。