中央神学校

かつて神戸の市街地に中央神学校があったのを、偶然Googleマップで見つけました。昨年の夏頃に見つけたのですが、やっと中央神学校があった跡地にある「中央神学校の跡」の石碑を見に行きました。

神戸の市街地で、生田川から住吉川までの最も北側(六甲山系に近い道)を東西に貫通する野崎線(山麓線)と、須磨から芦屋を経て武庫川を経て尼崎までを東西に貫通する山手幹線との間で、葺合中学校の北側のマンションに囲まれた神戸市の小さな公園の一角に、鉄格子に囲まれて石碑が設置されていました。
中央神学校は南長老ミッションから派遣されたS.P.フルトンによって1907年(明治40年)に設立した神戸神学校がルーツだそうです。アメリカの長老派教会の宣教団体の運営で、プリンストン神学校系の宣教師が教授陣を務めていたようです。
さらにルーツを遡れば明治学院、そして幕末から明治初期に横浜を中心に宣教し、和英辞書、医療行為、聖書の翻訳をしたヘボン(J. C. Hepburn)が横浜の外国人居留地に1863年(文久年間)に開設したヘボン塾という私塾に端を発しています。ヘボンは北長老教会の宣教医としての来日で、一般にはヘボン式ローマ字で知られています。ちなみに昨年・2025年にローマ字表記法が改正され、それまで内閣告示で訓令式ローマ字が公的だったローマ字表記が、ヘボン式を唯一の基本原則として採用する方針に転換しています。
ヘボン塾が明治学院となり、その後は日本基督教会の指導者植村正久が東京・市ヶ谷に1904年(明治37年)に東京神学社を始め、同じく明治学院で教鞭をとっていたS.P.フルトンは神戸に1907年(明治40年)に設立したのが神戸神学校です。
神戸神学校は、聖書信仰に立った神学校で、1927年に大阪神学院と合併して中央神学校となるまでに、富田満、賀川豊彦、田中剛二らを輩出しています。1927年北長老ミッションが経営する大阪神学院と合併して中央神学校としてS.P.フルトンを校長として、神戸神学校を継承する神学校という位置付けだったようです。1942年に閉校するまで東京基督神学校の創立に尽力して、日本基督長老教会の初代議長となった後藤光三、四国で活躍した野田辰夫、そして恵泉教会を開拓伝道した松田輝一らを輩出しています。

石碑の裏に刻まれた内容が、木に覆われまた汚れ等で一部は解読困難でした。
中央神学校の碑
The Site Of Chuo Theological Seminary A.D. 1907-1941
沿革
1907年 米国南長老教会はカルヴァン主義に立つ
神戸神学校を創立する。
1927年 米国北長老教会立大阪神学員と合同、中央神学校となる
1941年 信教の自由を守るために自主的に閉鎖する。
1945年 戦災により校舎を焼失する。
1907-1938年死去に至るまでS.P.Fulton校長として在職する。
卒業生〇数277名 日本本土、旧満州国、旧朝鮮、旧台湾、
北米等各地において福音の宣教に活躍し、日本宣教史に
〇〇・・・〇〇す。
〇〇〇〇 5月
中央神学校同窓会建之

太平洋戦争後、中央神学校の卒業生を中心にして日本基督改革派教会と神戸改革派神学校を設立しています。1947年(昭和22年)に、日本基督改革派灘教会内に神戸改革派神学校は開校しています。また、新改訳聖書の翻訳にも大きく関わった人材を輩出しています。
新改訳聖書の原訳者(新約聖書のみ)
マタイの福音書…松田一男、神戸改革派神学校卒
マルコの福音書…橋本竜三、日本基督改革派灘教会牧師
ルカの福音書…藤井重顕、日本基督改革派横浜教会牧師
ヨハネの福音書…田中剛二、神戸神学校卒
使徒の働き…岡田稔、神戸神学校卒
ローマ人への手紙…吉岡繁、神戸改革派神学校長
ガラテヤ人への手紙…松尾武、中央神学校教員
エペソ人への手紙…矢内昭二、日本基督改革派東京教会牧師
テサロニケ人への手紙第一…古口嗣郎、日本基督改革派岡山教会牧師
ヘブル人への手紙…安田吉三郎、神戸改革派神学校卒
ヤコブの手紙、ユダの手紙…石丸新、神戸改革派神学校卒
ヨハネの黙示録…渡辺公平、日本基督改革派灘教会牧師
新改訳聖書の新約聖書に関しては、多くが神戸神学校、中央神学校、神戸改革派神学校の卒業生や教員、そして日本基督改革派の牧師が原訳者になっていました。
なお神戸には、きよめ派の神学校として1907年(明治40年)に設立された日本伝道隊聖書学校をルーツとする関西聖書神学校、1957年(昭和32年)にノルウェー・ルーテル伝道会によって設立された神戸ルーテル神学校、1967年(昭和42年)に千里ニュータウンバプテスト教会の聖書学校がルーツの関西単立バプテスト神学校、そして1996年(平成8年)に改革長老教会によって設立された神戸神学館があります。今は神戸から離れていますが1886年(明治19年)に米国南メソヂスト監督教会宣教師J.W.ランバスが神戸の外国人居留地に設立した読書館がパルモア学院となり、1889年(明治22年)には原田の森に移転して関西学院となり、1929年(昭和4年)移転後大学に昇格して、神学部を擁する関西学院大学となっています。