賀川豊彦

神戸・新川スラムだった場所に建っている賀川記念館へ行ってきました。6年前には、賀川豊彦が幼少期を過ごした徳島・鳴門にある賀川豊彦記念館には行ったことがあるのですが、元本務校の近くで、時々前を通っていながら神戸の賀川記念館の中に入るのは初めてでした。

記念館の4階のフロアに展示スペースのミュージアム、資料や書籍のある研究室、日本基督教団・イエス団教会礼拝堂、カフェラウンジの天國屋があり、ミュージアムは入場料が300円でした。

ミュージアムでは資料の展示と、ディスプレー画面による短い動画と、スライドショーの表示で、賀川豊彦の生涯、新川スラムでの救済活動、生活協同組合の活動、労働運動、農民運動、関東大震災の復興活動、そして平和・人権活動などの紹介をしていました。

新川スラムは新生田川左岸の国道2号線以南で、東は春日野道辺りまでかと漠然と思っていたのですが、北は旧西国街道まで、東は旧吾妻小学校東側の南北の道ぐらいの範囲だったようです。そして賀川記念館の場所は、賀川豊彦が活動していた旧 救霊団(今の神戸イエス団)の拠点があった処だったようです。

スラム街の子どもたちと共に写る賀川豊彦、学校に通っている子どもたちは少なく、子守をしている少女の姿もあります。

初期の改良住宅、その向こうに長屋風のスラム街が広がっています。

刊行当時の大正期から昭和初期の著作「死線を越えて」、刊行から1年で100万部超という当時としては大ベストセラーとなった自伝的小説が並んでいました。後に英語・ドイツ語・フランス語などに翻訳され世界的に知られたようです。

自筆原稿の展示もありました。

賀川服も当時はあって、消費組合協会からコールテン背広として安価で売り出していたようです。

6年前に訪れた幼少期を過ごした徳島の鳴門市賀川豊彦記念館では、旧制徳島中学校時代に日本基督教会徳島教会で南長老ミッションの宣教師より洗礼を受け、キリスト教社会主義に共感し、伝道師を志して明治学院神学部予科に入学、予科修了後に新設された神戸神学校に富田満とともに1期生として入学するも、病気休学して3期生として卒業。

神戸神学校に在学中から新川スラムに移り住んで路傍伝道をして救霊団を始めていたようです。神戸神学校を卒業した1912年(大正元年)には一膳飯屋「天国屋」を開業し、印刷工場の女工をしていたハルと出会い、翌年には結婚、その後は無料巡回診療や労働組合運動をしながら、その体験をもとに自伝的小説「死線を越えて」を出版し、ベストセラーになった印税で大阪労働学校を開設や神戸購買組合(コープこうべのルーツ)の設立。
1921年(大正10年)には三菱造船所と川崎造船所で工場自主管理と約3万5千人を組織した大規模デモの指導をして、それが示威行動と発展して警官隊と衝突して賀川豊彦をはじめ組合幹部が一斉に逮捕されて戦前最大と言われる労働争議は労働組合側の敗北となっています。これ以降は無抵抗・非暴力を唱えるようになったそうです。

その後は農民運動に活動の場を移し、関東大震災の被災者救済をきっかけに本所基督教産業青年会を発足させています。さらに宗教活動に軸足を移し、百万人の救霊を目標として福音伝道のため全国を巡回し、その上米国・中国・欧州等世界各国で講演活動も行い、満洲に2つの基督教開拓村をつくっています。
太平洋戦争後は、GHQ占領下の中、芦田均らと自由懇話会を結成して政治活動を始め、東久邇宮内閣参与や貴族院勅選議員を務め、日本社会党の結成にも参画し、民間人として初めてマッカーサーに会った人物とも言われています。、東久邇宮稔彦王の後任首相として有力とされたり、また。幣原内閣解散後の吉田内閣組閣が難航した時にも首相候補として名が挙がっていたようです。晩年は世界連邦運動に取り組み、ノーベル文学賞の候補、さらにはノーベル平和賞候補者として推薦されたそうです。
聖公会のワシントン大聖堂には、賀川豊彦の彫像が、キング牧師ら等と共に、独立した形で掲げられているようです。

神戸バイブル・ハウスには賀川豊彦の配偶者・賀川ハルが印刷の女工の時に印刷された聖書が展示されています。

賀川ハルは「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の配偶者である印刷業者の村岡儆三の従姉妹となり、村岡儆三の印刷会社村岡印刷所で印刷されたラゲ訳聖書も神戸バイブル・ハウスに展示されています。

同じ4階のフロア―でミュージアムに隣接して賀川が神学校卒業後に開いた一善飯屋にちなんだカフェラウンジの天國屋でランチをしました。

ランチのメニューはビビンバで、50円のご飯大盛りを頼んで550円でした。

賀川記念館は、JR神戸線・三ノ宮駅東口から旧西国街道をまっすぐに東に進みます。

元本務校に三ノ宮駅から歩くことも多く、その途中に讃岐うどんの「すずめ」があるのですが、久し振りに旧西国街道を歩くと、まだ営業をしていました。

旧西国街道沿いには、神戸市内では珍しい6600V配電の電柱が木製やコンクリート製ではなく鉄塔のような鉄製の電柱が西国街道の南側に並んでいます。

昔は新川スラムの北側の旧西国街道の北側に寄席・大安亭があり、その周辺に店があり賑やかだったようで、その名残りが大安亭商店街だそうです。

西国街道沿いに社会福祉法人イエス団の施設があり、その南側に賀川記念館が位置します。