エズラの祈り

 手元に手帳サイズの礼拝ノートがあり、埼玉・三郷に住んでいた最後の3ヶ月である1994年1月から3月までの長老教会の杉並教会での小畑進師と丸山忠孝師の説教、神戸に引っ越した後4月の改革派の板宿教会での松田一男師の説教、そして5月以降は改革派の恵泉教会の鳥井一夫師の説教を中心に、神戸改革派神学校の牧田吉和師の説教、そしてイエスキリスト教団の垂水教会の新会堂献堂記念クルセードでの本田弘慈師の説教もあり、阪神・淡路大震災直前の1995年1月15日の主日礼拝は、高専時代のクラス担任だった武川公師の説教を垂水福音教会ゴスペルセンターで受けていました。30年以上前の約2年間の礼拝説教のメモですが、震災後、神戸・東灘の本務校が避難所となって、泊まり込みだった頃に、改革派の神港教会での安田吉三郎師の説教を受けていたのですが、この礼拝ノートには書かれていませんでした。

 教会の敷居を跨いで今年で40年になります。糸が切れた凧のように教会から離れていた時期の方がずっと長いですが、それでも通算で7~8年は、なんとか教会につながっており、いろいろな教会でたくさんの牧師からの説教を受けています。その中でもっとも心に刻み込まれている説教は、エズラ記9章からの「一本の釘」と題する説教で、1994年3月6日、当時の日本基督長老教会の杉並教会での小畑進牧師によるものです。

 杉並教会に通い始めたのが1994年1月からなので、エズラ3章からの連続講解説教の一部だけになりますが、エズラ3章では捕囚から帰還してエルサレム神殿の再建から始まって神殿の完成まで、そしてエズラ9章の最後はエズラの祈りとなっています。エズラの祈りは、夕べの祈りの中で、最初は失望の遍歴だったのが祈りへ変わり、礼拝ノートには、

「審きが下るのをじっと待つエズラの姿」、「審かれて当然、いやむしろ私の犯した罪には足りないくらい、もっと審きを願ふ姿」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

そして

「主の義しさから逃れることは出来ない」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

との小畑先生の説き明かしが礼拝ノートに残されています。

 小畑先生の御言葉説き明かしの記録として残っているメモには、

「ほんとうは聖なる主の前に立つことは出来ないこの者が、ずうずうしく立っている」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

 と書かれており、その後にハイデルベルグ信仰問答からとして、

「神の尊厳の前に 自らをへりくだる - ハイデルベルク信仰問答」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

と書かれていますが、直接的にこのようなフレーズはハイデルベルク信仰問答には見当たらず、おそらくハイデルベルク信仰問答 問117の第二の答えを小畑先生は思い描いての説き明かしだったのかなと思います。

「われわれが、自分の困窮と悲惨とを、真に根本的に認め、神の尊厳の前に、みずからを、へりくだらせることであります。」
(ハイデルベルク信仰 問117より、竹森満佐一訳、ハイデルベルク信仰問答、新教出版、1961年)

ハイデルベルグ信仰問答を引用した後に、祈りに関して、次のような言葉がメモとして残っています。

「ただ赦しのみを願っていないか」「ただ要求ばかりしていないか」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

その後に、エズラの祈りの後半、特にエズラ9:14,15からだと思うのですが、小畑先生の迸るような信仰の片鱗を感じるような言葉が続きました。

「地獄に堕ちるなら、その中でも神へ賛美する姿」、「たとえ地獄に堕ちると予定されてながらも、その中で、神の義しさ告白し、賛美する精神をエズラから学ぶべきでは」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

 罪の赦し・救いを祈ること、願いごと・要求を求めるような祈りで終わることへの警鐘のような小畑先生の言葉が、その時の杉並教会の会堂のやや後ろの方の席で耳にした光景と共に、心に深く刻み込まれています。隣の席には丸山忠孝先生がおられた記憶があります。

 私の中で、祈りや信仰告白よりも、神への賛美を主日礼拝では大切だと思うようになったのは、この小畑先生の説教に遡るように感じます。

 エズラ記の捕囚からの帰還、そして新しく宮を再建することを、新約の予兆としてのアナロジーがあるのかどうか、私にはわかりませんが、小畑先生の脳裏には、エズラ記と、新約のイエスとを重ねるような御言葉の説き明かしが礼拝の最後にあり、それが説教題の「一本の釘」でした。

然るに今われらの神ヱホバ暫く恩典を施こして逃れ存すべき者を我らの中に殘し我らをしてその聖所にうちし釘のごとくならしめ斯して我らの神われらの目を明にし我らをして奴隷の中にありて少く生る心地せしめたまへり
(エズラ書9:8、文語訳)

 このエズラ9:8は、NIVでは”giving us a firm place in his sanctuary”となり、新共同訳でも「あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。」と訳されて、「釘」という言葉が出てきません。

 KJVでは“to give us a nail in his holy place”となって、新改訳では「ご自分の聖なる所の中に一つの釘を与えてくださいました。」とあり、小畑先生はKJVや新改訳の「一本の釘」を説教題にしたようです。

 なお元のヘブライ語では『יתד』(ヤテド)という言葉が使われ、女性単数の普通名詞で意味は「留め釘」だそうです。NIVの”a firm place”や新共同訳の「よりどころ」は直訳ではなくて意訳のようですが、意訳だと、小畑先生の説教の醍醐味が伝わらないように思います。

 迸るような小畑先生の御言葉の説き明かしの後は、エズラ9:8に戻って、新改訳の「一つの釘」を芥川龍之介の短編小説「くもの糸」の「一本の糸」に例えていたのが礼拝ノートにメモしていました。小畑師は大正大学の仏教学科を卒業後に比叡山で修業の経験をお持ちで、地獄の底で蠢めいているカンダタが蜘蛛を助けた事を思い出して、釈迦が極楽の蜘蛛の美しい銀色の糸をカンダタのもとに下すことに端を発する短編小説「くもの糸」にエズラ9:8を重ねたようです。スウェーデンの女性作家ラーゲルレーヴの作品「わが主とペトロ聖者」における「地獄に向けて放った天使」もエズラ9:8の「一本の釘」とのアナロジーを感じます。

 そして小畑先生は、

「私たちの救いの釘 イエスキリスト」
(説教「一本の釘」、日本基督長老教会・杉並教会、小畑進師の説教メモより)

と説教の最後に、エズラの祈りが、イエスの予兆へと連なるような示唆の言葉で終わっています。

イスラエルの神ヱホバよ汝は義し 即ち我ら逃れて遺ること今日のごとし 今我ら罪にまとはれて汝の前にあり 是がために一人として汝の前に立ことを得る者なきなり
(エズラ書9:15、文語訳)

 教会の敷居を跨いで40年、その中で、もっとも心に刻み込まれている小畑先生の御言葉の説き明かしが、その時のシーンと共に、礼拝ノートから蘇ります。

礼拝ノート、「エズラ9章 小畑師 「一本の釘」 杉並教会、1994年3月6日

 賛美と言えるかどうか・・・キリシタン時代に西の海の彼方からやってきたパードレ(伴天連、神父)によってキリスト教に出逢い、その後禁教の時代に潜伏キリシタンとなって、迫害される400年前の信者を思って、長崎の西彼杵の西海を望む丘の上でひとりのカトリック信徒である作家の遠藤周作が、

沈黙の碑、西彼杵・出津の海を望む丘の上、遠藤周作

 人間が こんなに 哀しいのに 主よ 海があまりに 碧いのです。
(遠藤周作、沈黙の碑、西彼杵・出津の海を望む丘の上にて)

 32年前の阪神淡路大震災の早朝、真っ暗の中で、当たり前のように空が明るくなった時に、この遠藤周作の沈黙の碑が頭を過りました。エズラ9:8の聖書、そして小畑先生の「一本の釘」の説教を振り返りながら、西彼杵半島の出津の丘、そして震災の時の黎明の光がオーバーラップしました。これが賛美と言えるか・・・よくわかりません。



itsumi
信仰