旧約の魂・愛・契約

 神戸バイブル・ハウスでの勝村弘也先生による、「サムエル記の脇役たち」と題する聖書セミナーの2回目は、副題が「王子ヨナタン」でした。扱った聖書個所はサムエル記上から、まず13章と14章との関係と、描かれているヨナタンの武勇伝、次に18章におけるヨナタンのダビデの魂が結びつき、そして20章でのダビデとヨナタンの別れの、主に3つの聖書箇所が中心でした。

ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。
(1 Sam. 18:1、新共同訳)

 勝村先生の私訳では「ヨナタンの魂は、ダビデの魂に結びついた。ヨナタンは自分の魂のように彼を愛した」

 魂と訳されるのはヘブライ語の” נֶפֶשׁ(nephesh、ネフェシュ)という言葉で、日本語の「魂」や英語の”soul”よりも広い意味・内容を指し示すヘブライ語の単語だそうです。旧約聖書におけるnepheshが使われている箇所としては、

・生命・命そのもの
例) 「血は命(נֶפֶשׁ・nephesh)である」(Lev. 17:11) …
・人間そのもの(人格)
例) 「ヤコブの家族70人(נֶפֶשׁ・nephesh)」(Gen. 46:27)
・喉、息、生命の通路
例) 「私の喉(נֶפֶשׁ・nephesh)は神を求めて渇く」(Ps.42:2)

「 נֶפֶשׁ・nephesh」は、「魂・soul」よりも「生きている存在としてのヒト」「passin・willを持つ自己・自我」というような、広い意味・内容をカバーする言葉のようです。

 nepheshとnepheshとが結びつくわけで、passin的なnephesh同士の結びつきとして、ヨナタンはダビデに対して尊敬する、あるいは価値観のようなものを共有するニュアンスではないかと思います。或いはwill的なnephesh同士の結びつきとして、ヨナタンはダビデに対し忠誠を尽くすようなニュアンスとも捉えることが出来ると思います。

ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、
(1 Sam. 18:3、新共同訳) 

 続く3節で「愛する」という言葉と「契約」という言葉が出てきます。勝村先生の私訳では「ヨナタンは、ダビデと契約を結んだ。彼が自分の魂のように彼を愛していたので、」と、ほぼ新共同訳と同じです。

 愛すると訳されるのはヘブライ語の” אָהַב “(ahav、アハヴ)という言葉で、恋愛の専用の言葉ではなくて、「強い好意・選び・結びつき」を広く表す言葉だそうです。

・神を愛する
例) 「あなたの神、主を愛しなさい。」(Deut. 6:5)
・隣人を愛する
例) 「隣人を愛しなさい。」(Lev.19:18)
・政治的同盟相手を愛する
例) 「ヒラムは常にダビデと友好関係にあった」(1Kgs.5:15)※新共同訳
  「ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである。)※新改訳

そして「契約」と訳されるのはヘブライ語の” בְּרִית ” (berit、ベリート)という言葉で、二者の間に結ばれる、拘束力のある関係・約束であり、義務や忠誠、あるいは保護や祝福または呪いが含まれような広い意味を持った言葉のようです。

・対等な契約(同盟・友情契約)
例) 部族同士、個人同士の「互いに助け合う」約束
・主従契約(主語・主体と、目的・客体)
例) 主語(主体)が客体に義務(責務)を持つ一方的な宣言

サムエル記上18章の1節から3節の文脈を考えると、「ヨナタンの魂は、ダビデの魂に結びついた」(勝村私訳)の「結びつき」は、will的なnephesh同士の結びつきであり、「愛する」( אָהַב ・ahav、アハヴ)は政治的な意味での同盟相手を愛するであって、「契約」( בְּרִית ・berit、ベリート)は主語(ヨナタン)が客体(ダビデ)に責務を持つ一方的な宣言としての契約であることがわかる・・・というのが勝村先生の解釈のようです。

 サウル王の息子・王子ヨナタンは、ダビデを愛し、ダビデに対して責務を持つ契約を一方的に宣言したのが、この聖書の解釈で、ダビデがヨナタンを愛するという記述はサムエル記にはないです。

 イスラエルのベニヤミン族の出身のサウルの後継者が、自分の息子である王子のヨナタンではなくて、ベツレヘム出身の羊飼いエッサイの息子であるユダ族のダビデとなって、語弊がある表現ですが、その橋渡しになったようなヨナタンの存在。それをサムエル記上18章の1節から3節での「ヨナタンの魂は、ダビデの魂に結びついた」、ヨナタンが自分の魂のようにダビデを愛していた」、「ヨナタンは、ダビデと契約を結んだ」これら3つフレーズが担っているように感じました。

「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」とダビデが言うと、 メフィボシェトは礼をして言った。「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは。」
(2Sam. 9:7-8、新共同訳)

「愛する」( אָהַב ・ahav、アハヴ)は政治的な意味だけではなくて、強い好意・選び・結びつきを広く表す言葉であり、そして「契約」( בְּרִית ・berit、ベリート)がヨナタンがダビデに責務を持つだけではなくて、個人同士の互いに助け合うという友情契約でもあったことがサムエル記全体から伝わってきます。



 

 




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