一膳飯天国屋

 神戸改革派神学校のルーツである神戸神学校は、明治学院神学部と神学的な立場の差異から袂を分かった教員が神戸に設立したカルヴァン系の神学校で、明治学院で学んだ者の中には神戸神学校の設立に伴って、第一期入学生として移って学びを続けた者がおり、その中に富田満と賀川豊彦が含まれています。この2人はキリスト教界だけではなくて、その後太平洋戦争の戦前・戦中・戦後の社会的・政治的な部分にも影響を及ぼすことになります。

 賀川豊彦が神学校卒業後にまずしたことは、新川スラムと呼ばれていた新生田川河口付近の左岸に広がる貧民窟における救済活動でした。教会を建てて御言葉を広めるのではなくて、「一膳飯・天国屋」を開業して、安くて栄養のある食事の提供を真っ先にしています。この天国屋を出発点にして、救霊団(現在に続く神戸イエス団)の事業を発展させています。

 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。(Exodus 16:4)

 聖書の中で、イエスが、父なる神は必要なものはご存じなので「あなた方はこう祈りなさい」との「主の祈り」で、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。 (明治元訳)
Giue vs this day our daily bread. (KJV)
我等が日々の御養なひを今日与へ賜び給まへ。 (どちいりな・きりしたん)

と、神の賛美に続いて真っ先に祈り求めているのは「日用の糧」(daily bread、御養なひ)であり、賀川が神学校卒業後に貧民窟で行ったことが、まさに、この「日用の糧」としての「一膳飯・天国屋」だったのかなあ~と、今から一世紀あまり前の1911年(明治44年)に神戸神学校を卒業して翌年の1912年(大正元年)に「一膳飯・天国屋」を開業した賀川に思いを馳せます。

 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」(John21:5-6)

 復活したイエスが、七人の弟子の前に顕われて、その時に食べ物のことを真っ先に口にしています。

 イエスは福音書の中で、食べ物を提供したり、癒しを行っており、イエスにとっての「福音」とは、もちろん説教を通した教え(御言葉)がありますが、それだけではなくて、日用の糧や癒しも大切な福音だったと、賀川は実際に新川スラムで「一膳飯・天国屋」を開業し、そして無料巡回診療を手掛けたり、子どもたちの教育に関しての援助も救霊団を通して行っていたそうです。

 新川スラムだった場所で救霊団の拠点があった場所に賀川記念館があり、神戸イエス団の事務所があり、そして4階には、かつての賀川が開いた「一膳飯・天国屋」にちなんだ隣保事業として、天国屋Cafeがあります。

 先週の木曜には、神戸バイブルハウスでの聖書セミナ―前に、天国屋Cafeのランチを食べて、一世紀前の賀川の「一膳飯・天国屋」に思いを馳せました。この日のランチはハヤシライスで大盛にして550円でした。
 

itsumi
信仰